語学をやっていると時々、「mi-neさんは英語ができるからいいよね」「英語ができるからフランス語もできるんでしょ」「イタリア語ができるからフランス語もできるんでしょ」と言われることがあります。
もちろんフランス語を話すとき、イタリア語の文法知識を応用しながら文を作るし、知らない単語があるときには、イタリア語や英語の単語から類推して話したり、聞いたりすることはありますが…
ですがそれは、「英語ができる」から「フランス語ができる」のでしょうか?
もしそうだとしたら、英語ネイティブの人は皆、フランス語ができるのでしょうか?
イタリア語ネイティブの人にフランス語で話しかけたら、皆、フランス語で返事してくれるのでしょうか?
答えはNOですよね。
何語の母語話者であろうと、「フランス語を勉強しない人はフランス語は話せない」のです。
私は「mi-neさんは英語ができるからフランス語ができるんでしょう」と言われるたびに、モヤッとした気持ちになります。まるで私が何の苦労もせずフランス語を話しているのだと決めつけられているような気分です。
才能があるから、
環境に恵まれてたから、
努力しなくてもできちゃうんでしょ?
先日ついに「私は毎日1時間はフランス語を勉強しているんですよ」と言って差し上げたら、「え!?」とすごくびっくりされました。
私はびっくりされたことに逆にびっくりしました。まさか本当に、私が何も勉強していないと思っていたのでしょうか…?
「あなたはすごいよね」の裏にある心理
褒めてくださる人のパターン
「mi-neさんはすごいよね」と言ってくれる人には大きく分けて2パターンあります。一つは、
すごいですね、憧れます。私も頑張ります!
と言ってくれる人です。
もう一つは、
すごいですね。え、英語が得意なんですか? だからフランス語もそんなにできるんですね。いやー、私は英語が苦手で、だからフランス語もダメなんですよ…
と言う人です。
前者の場合は、そう言ってくださることはとても嬉しいし、これからも一緒に勉強を頑張っていく仲間でありたいなと思います。
後者の場合、そう言ってくださることは一瞬、誉め言葉に聞こえますが、たいていの場合何度も何度も同じことを繰り返して言われるうちに、「あなたができて、私ができないのは、実力差のせいではないし、私の勉強法が間違っているせいでもなく、何か全く別の要因の違い」ということにしたくてたまらない、という隠れた思いが見えてきてしまいます。
「できない自分」の正当化
こういう場合は大抵、そう言ってくるご本人が伸び悩んでいるタイミングで、自分に不甲斐なさを感じている場合が多く、私はそんな言葉をかけられるたびに、「もっとご自分を信じればいいのに」と思って残念な気持ちになります。
他人と比べて「自分は出来てなくて当然」という変な理由を探すより、「自分も頑張ろう」というポイントを探して自分に集中すれば伸びるのに、勿体ないなぁと思うのです。
自分に不甲斐なさを感じたり、誰かをうらやましいと思った時、そんな自分を自分で認められずに変な理由付けをこねくり回していると、自分自身の成長を止めてしまいます。私自身の経験上、語学の成長は得てして、こうした「ちょっと情けない自分を直視できない」心理が邪魔をするものです。自分をごまかさず、素直に認めてあげられれば、必ずや次の成長につながっていきます。
「あの人は○○だから出来る」
○○に入るのは…
「mi-neさんは○○だからフランス語ができるんだよね」の○○に入るのは、
「フランス語を勉強しているから」以外のほかに何もありません。
毎朝4時に起きて勉強し、出勤時の地下鉄でもアプリで問題を解き、耳が空いているときはフランス語のYouTubeを聴き、週末にはその週にあった出来事や気持ちをフランス語で作文し、週に一度フランス人の先生に話しているからです。
私が英語ができるのは英語を勉強したからだし、
イタリア語ができるのはイタリア語を勉強したから、です。
鉄棒で逆上がりができるのは、逆上がりの練習をしたから、です。
○○ができるようになるためには、○○をするしかないのです。
かけた努力と時間に敬意を
「あの人は○○だから出来る」の○○を達成するのに、その人がどれだけ努力したか、どんな辛い思いをしたか、どれだけ時間とお金をかけたかに思いを馳せると良いでしょう。
目の前で輝いているように見えるその人も、かつて留学した先でクラスに馴染めなくて寂しい思いをしたかもしれない、あるいは赴任先の会社で会議についていけず、情けない思いをしたかもしれません。
誰だって成長の過程で屈辱や挫折を味わいます。
そして成長するために引き続き練習を重ね、努力しているのです。
これまでの努力を褒めてあげよう(自分も他人も)
誰かをうらやましいと思ったら、他人との実力差を比べるのではなく、勉強を始めた当初の自分と今の自分の実力差に注目しましょう。
「これだけできるようになった。自分も頑張ったなぁ」と褒めてあげましょう。
誰かをうらやましいと思ったら、素直に憧れればいいのです。
卑屈な心は自分の成長すらも止めてしまいます。
憧れのあの人だって、あなたの知らないところで努力していたからこそ今の実力があるということに目を向け、他者の努力も、自分の努力にも敬意を払えばいいのだと思います。
語学の道は長く、そして孤独です。
自分の成長を測るのは自分でしかなく、また、自分の実力を評価するのも自分でしかありません。
私の経験から言うと、いくら他人から評価されても、最終的には自分で自分を評価できなければ、いつまで経っても自信はつかないものなのです。
ですから早いうちから、自分の実力は過去の自分と比較して測り、自分の頑張りを自分で誉めてあげるクセを付けて行きましょう。
誰かをうらやましいと思ったら、その人の見えない努力に敬意を払い、自分が頑張るためのモチベーションにつなげていきましょう。
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